2024年4月の「医師の働き方改革」により、
医師については新たな労働時間規制が導入されました。
医師以外のスタッフについても、もともと求められている労働時間管理の重要度が、
改めて高まっています。
この採用競争と人件費の安定化という喫緊の課題に対し、
解決策の一つとして注目されるのが、みなし残業(固定残業)制度です。
この制度は、企業がスタッフに支給する給与について、
あらかじめ一定時間分の時間外労働代を含めて支給する仕組みです。
規定時間分の残業代計算が不要となり、スタッフ側も一定額の収入が保障されるため、
給与の予測がしやすくなるというメリットがあります。
しかし、特に複雑な勤務体系を持つ医療機関では、
安易な導入は、未払い賃金や違法運用といった致命的なリスクを招く盲点となり得ます。
(コラムの内容は公開時の法律等に基づいて作成しています)
「みなし残業」と「みなし労働時間制」の決定的な違い
混同されがちな「みなし残業」と「みなし労働時間制」は、
労働基準法上の位置づけが根本的に異なります。
- みなし残業(固定残業制)
実際の残業時間にかかわらず、一定時間分の残業代を固定で支払う制度です。
スタッフの労働時間管理(勤怠管理)は企業に義務づけられており、
規定時間を超えたら追加で残業代を支払う必要があります。
- みなし労働時間制
実際の労働時間にかかわらず、規定の労働時間分を働いたとみなして
給与を支払う制度です。
適用できるのは、社外での業務が多い「事業場外労働」、
または高度な専門職・企画立案業務の「裁量労働制」など、
限定的な業務・職種のみです。
一般の看護師や医療事務には、原則として適用できません。
多くの医療機関が導入を検討するのは、
前者の「固定残業制」ですので、混同しないよう注意が必要です。
「みなし残業」導入の重大な盲点
医療機関の経営において、人件費と採用力は運営の生命線です。
みなし残業制度は、経営戦略上のメリットがある一方で、
専門家でなければ見抜けない大きなリスクを孕んでいます。
❌警告:残業代を抑えるための導入はナンセンス
みなし残業制度は、残業代の総額を「削減する」ための制度ではありません。
もし、院長が「トータルの人件費を抑える」目的で導入を検討されているのであれば、
固定残業代制度は、目的に沿わないかもしれません。
固定残業代制度の主目的は「給与額の予測性の向上」と「計算の簡略化」です。
削減目的だけで導入すると、運用上のトラブルを招く可能性があります。
むしろ、以下の理由から、固定残業代の発生により人件費が上昇する可能性があります。
- 人件費の不必要な上昇
残業がほとんど発生しないスタッフにも、
あらかじめ固定残業代を支払う必要が生じます。
残業時間が上限に届かなくても固定額の支給が義務となるため、
残業の少ない部門では人件費が押し上げられます。
- 違法リスクのコスト
制度の導入・運用を誤れば、未払い残業代や訴訟リスク、
クリニックイメージが悪くなるという多大な機会コスト(損失)が発生します。
経営戦略上のメリット(採用・計算の安定)
- 求人でのアピール力向上
固定残業代を含めることで、求人票上の月給提示額が高くなり、
特に若年層に対する採用競争力が向上する可能性があります。
- 人件費の安定的な把握
残業代が固定化されるため、給与額の変動が抑えられ、
経営計画や資金繰り予測が立てやすくなります。
- 業務効率化の促進
固定残業代制度そのものが業務効率化を生むわけではありませんが、
労働時間管理の徹底と組み合わせることで、結果的に効率化につながることがあります。
重大なデメリット(服務規定上のリスク)
- サービス残業の温床
スタッフが「残業代は固定額に含まれているから、超過しても支払われない」と誤解し、
超過分の請求を諦めるサービス残業が横行しやすい状況を招きます。
- 管理者の誤解による長時間労働の助長
管理者側で「固定残業代を払っているのだから、一定時間内は残業をさせて当然」という
誤った認識が生じ、結果として、不要な長時間労働を強制するリスクがあります。
医療機関が陥りやすい「違法運用」の落とし穴
これまで、安易に導入した結果、法令違反に直面し、相談を受けるケースを見てきました。
特に医療機関が注意すべき違法ケースは以下の3点です。
| 違法となるケース | 医療機関での盲点 | 専門家のアドバイス |
| 1.基本給が最低賃金を下回っている | 固定残業代を基本給に含めて最低賃金をクリアしたと誤解する。 | 固定残業代を除いた基本給と一部手当だけで、都道府県ごとの最低賃金を上回っているかの検証が必須です。 |
| 2.残業代の割増率が法定を下回っている | 法定時間外労働(25%以上)に加え、深夜労働(22時~5時)や法定休日労働(35%以上)の割増率を適切に計算せず固定額を設定している。 | 基本給から逆算した1時間あたりの賃金に対し、固定残業代が法定割増率を満たしているか、厳密な計算が必要です。 |
| 3.超過分の割増賃金が支払われていない | 規定時間(例:20時間)を超過した残業を黙認し、追加の残業代を支払わない。 | 超過分は1分単位で計算し、必ず支払う体制を構築し、管理者・スタッフに周知する必要があります。 |
特に、法律上は深夜・休日労働分を固定残業代に含めることも可能ですが、
事前に労働時間数と割増率を特定しなければなりません。
これが不明確な場合、固定残業代自体が無効と判断されることが多く、
実務上は別途支給とする方法が安全です。
ペンデル税理士法人からのアドバイス
「みなし残業制度」は、適切な運用があって初めて成立する制度です。
採用力強化と法令遵守を実現するために、以下の項目を確認・検討してください。
アドバイス1:労働時間管理を見直す(最優先)
みなし残業の導入に先立ち、変形労働時間制など、クリニックの勤務実態に合わせた、
労働時間管理制度を見直してください。
みなし残業と変形労働時間制を組み合わせることで、労働時間の配分を柔軟にできるため、
繁忙日と閑散日のバランスが取りやすくなります。
結果として残業が減少し、残業代の支出が抑えられる場合があります。
アドバイス2:固定残業代の設定は「計算式」を明確に(リスク回避)
雇用契約書(雇用条件通知書)や就業規則で、以下の事項を明記し、
スタッフに周知徹底してください。
- 基本給(固定残業代を含まない金額)
- 固定残業代が何時間分、いくらなのか
- 超過した場合の計算方法と支払い義務
- ( 給与明細に、実際の残業時間を記載することが望ましい )
アドバイス3:管理職(院長、配偶者、分院長等)の意識改革と勤怠管理の徹底
(違法リスク排除)
「みなし残業代を払っているから残業させて当然」という誤解は、
直ちに是正しなければなりません。
- 教育
みなし残業制度は残業を強制する制度ではないこと、超過分の支払い義務があることを定期的に周知徹底してください。
- 労働時間管理
タイムカードやITツールを活用し、全スタッフの労働時間を正確に把握する体制を継続してください。
「みなし残業制度」は、制度の複雑さから、
設定方法や運用を誤り、意図せず違法となるケースが非常に多い制度です。
クリニックが直面する税務・労務の課題に対し、ペンデルグループにご相談いただくことで、
医療業界特有の運営形態を考慮し、人件費最適化や採用・労務相談を
総合的にサポートいたします。
(参考)
厚生労働省:労働時間・休日
厚生労働省:働き方改革特設サイト